2004N77句(前日までの二句を含む)

July 0772004

 おとうとをトマト畑に忘れきし

                           ふけとしこ

語は「トマト」で夏。フィクションととらえてもよいし、かつて実際にあったこととしてもよい。この句の良さは、実に的確に「おとうと」のありようが把握されているところだ。彼の年代は、学齢前のちょこまかと動き回るころだろう。お姉ちゃんの行くところには、どこにでも就いてきたがる。就いてくるのはよいのだが、なかなか言うことは聞かないし、自分の関心事にすぐに没頭して座り込んだりと、世話が焼ける。そしてときには、ぷいと断りもなく帰ってしまったりして、面倒を見きれないとはこのことだ。今日も今日とて、近くのトマト畑に就いてきた。お姉ちゃんはトマトをもぎに来たわけだが、彼は彼で勝手に畑を動き回っている。いつものことだから勝手にさせておき、さて帰ろうとして見回すと姿が見えない。小さいからトマトのかげにいるのかと少し探してみて、名前を呼んでもみたけれど、どうももう畑にはいないようである。また先に帰ったのだと軽い気持ちで家に戻ってみると、まだ帰ってはいないという。昼間だから、別に真っ青になる事態ではない。「まったく仕様がないなあ」。幼き日の作者であるお姉ちゃんは、ぷんぷんしながら迎えに行かなければならなかった。日盛りのトマト畑に来てみると、小さな麦わら帽子が揺れていた。遠い遠い思い出だ。でも、いまとなってはとても懐かしい。そんな郷愁を呼ぶ佳句である。実際の出来事だとしても、むろん大人になった「おとうと」は覚えていないだろう。よくあることだが、そこがまた作者の郷愁をいっそう色濃いものにするのである。『伝言』(2003)所収。(清水哲男)




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